ノーボーダーはどこ行った

21世紀の初め、これからはノーボーダーだ、というようなことが言われていました。

グローバル化だ、垣根がなくなるんだ、と。

ところが、現在では分断がさまざまなところで現れ、人びとは自分の”位置”にこだわるようになりました。

ある意味では当然かもしれません。

たとえば、国境を越えて他国へゆけば、「きみはどこから来たんだい?」と自分の故郷のことを聞かれることでしょう。

異なる場所へゆけば、自分がどこの環境に”所属”するのかを否応なく意識することになります。

境界が薄くなって、他のまとまりの中へ入っていったとき、自分のもともとの位置が強調されてしまうのです。

結果的に、2022年ではボーダーレスというより、ボーダーがより濃くなってしまっている感じがします。

故郷が戦争に巻きこまれるのは悲しいことですが、土地をめぐって争いが起こるのは、ボーダーがあるからではないでしょうか。

”ノーボーダー”であれば、土地をめぐって争うのは意味がないことです。

もちろん、故郷というのはさまざまな意味で力をくれるものです。

ともあれ、21世紀の初めに言われていたような環境ではなくなっているような感じがします。

人、モノの行き来は確かに活発になったかもしれませんが、結果として先に述べたように自らの”所属”が強調される時代のようです。