異世界転生

小説家になろう」というウェブサイトがあります。

小説を書きたい、読んでもらいたいという人は多いようですね。

わたしは小説を書いたことはなく、書き方というものがよくわかりません。

まあ、わたしの話は置いておいて、特にこういうライトノベルジャンルを中心に「異世界転生」というキーワードがとても盛り上がっているようです。

1ジャンルを築いた、「た」という過去形ですね。

もはや王道として君臨していると言っていいでしょう。

しかしわたしはこの物語構造に、人びとの願望のゆがみのようなものを感じます。

異世界転生物語の骨子は、自分が元の世界ではダメ人間で、そのときの知識を生かして異世界に生まれ変わったときに圧倒的優位から生きてゆく。

そういうものです。

わたしから見ると、「異世界転生」はゆがんだ欲求の発散に思えます。

自分が優越な立場にありたい、そしてもし人生がやり直せるなら……。

この小説スタイルは、逃避がテーマですね。

こういうスタイルが悪いとは言いませんが、もしこのお話に憧れるのなら現実世界で人から優越したらいいじゃないかと思ってしまいます。

現実世界は転生した世界などよりもよっぽど多くの知識や可能性にあふれています。

なお、わたしはゲームも含め、こうした物語構造を否定しているわけではないのです。

1つのジャンルとしてありだと思います。

ひと言で言ってしまえば好きではないわけです。

好きかどうかという次元と、認めるかどうかという次元は別です。

つい思ってしまうのですが、転生などしなくとも、生きている今、やれることをやったらそれはじゅうぶんにこの世界での達成なのでは?。

安易に異世界、つまり「本当だったら」「あのときこうだったら」というようなタラレバに快感を感じるのはよいことと思えません。

こういうジャンルが隆盛を見ているということから読み取ってほしいことがある、そういうことなんです。

小説というもの自体が現実から逃れるものではないか?

その通りです。

それでも、わたしから見ると異世界転生は異質に見えます。

今後を注視してみましょう。