竜馬がゆく、が読み進まない

竜馬がゆく。何ヵ月前に買っただろう。現在三巻を読んでいる。なかなか読み進まない。

なぜか、面白いのだけれど読み進めることができない・・・・・・。

わたしは司馬さんの本はあまり読んだことがない。というより、坂の上の雲しか読んだことがない。坂の上の雲は素晴らしいと思った。これだけ壮大で事柄の多岐にわたることをよく調べあげて、ひとりで作り上げられたなと、もはや神業のように感じている。

坂の上の雲連載時は、パソコンなんて当然ない時代だった。どうやってあれだけの文章を書きおえたのだろう。

まあ、IT製品のあるなしの話題は少し置いておいて、わたしが司馬さんを特に尊敬する理由は、彼のネーミングセンスが素晴らしいからだ。

坂の上の雲。これは、幼い国家であった日本と日本人が感じていた文明国への憧れを表現したものだという。

こんな素晴らしいタイトルが、連載開始と同時に思い付くだろうか?(坂の上の雲は新聞連載である)

タイトルは、わたしだったら書き終えたときに考える。文章の主題は先頭に書いておくけれども、それを発表する題としてそのまま書けることはわたしの場合少ない。

日本が歩んでゆく道、先進国へ通じる坂。その先に浮かんでいる雲。叙情的表現だが、当時の現実そのものだ。

のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすればそれのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう(ちょっとうろ覚え)

あとがきより。

雲という遥か高いところに浮かんでいるものへ、わたしたちは憧れを抱く。それを国に例えた。何て素晴らしい題名だろう。しっかりと主題をとらえながら、その小説の終了まで破綻がない。とても今のわたしごときでは足元にも及ばない。

司馬さんのさらにすごいところは、その作品の量だ。どれも質がとても高いのに、作品が怒濤のようにたくさんある。すごすぎる。本屋へいくと、ほとんどどの出版社からも本が出ている。そしてどの出版社もたくさんの司馬さんの本が並んでいる。

作家を見るひとつの見方として、その作家の死後その本がどれだけ読まれるか。というのがあるという。死後10年で読まれなくなる作家なら・・・・・・。いや、作家評なんてやめよう。

話は戻って、竜馬がゆく。読み進まない。

今より若かった頃は、熱い友情物語がある三国志だったり、宮本武蔵だったり、そういうものに惹かれたが、ちょっと年を取ってみるとなんだか斬り合いとか、熱さとか、そんなものが嫌い(どうでもいい、かも)になってきた。

今はもっと理論的であったり、人生観であったりとかそういうものをわたしは求めているのかもしれない。となってくると、一巻で挫折しているトルストイの「戦争と平和」を読むべき時期が来ているのかもしれないと思う。

ロシア文学は、世界的に与えた影響が大きい気がする。ただ単純な問題として、登場人物の名前が長い。けれど、わたしはカタカナが好きなので、こういう長い名前は歓迎だ。

余談ながら、ロシアと通じる話題ではないが、覚えにくい名前ほど覚えやすい。そんな矛盾は感じたことはないだろうか?アウストラロピテクスとか、覚えている人も多いのではないか。さらに、それを忘れようと思うほど、覚えてしまう。たぶんここで、わたしがゾーイ(今とっさに思い付いた)と書くと、これ(ゾーイ)を忘れようと思うほど、忘れるのが困難であることに気づくのではないか。ちなみに、ゾーイというのは女性名である。確かイタリア系の。

全く、人間は面白い。

もし、人の読書にバイオリズムがあるとしたら、それも面白い。またいつか、熱血物語が読みたくなるのかもしれない。

読書は人生の宝だ。本を読まなければ得られない考え方というのは確かに存在する。現代は存在し得ない人の人間模様を見るのも読書だし、いつの時代も変わらない人の心を読み取るのも読書だ。もちろん、読書からすべての経験が得られるなんてことはないが、全く読書をしないよりはほぼ100パーセント生活の質は向上するだろう。自らを高めてくれるのは確かである。

本を読むときは読むとき、読まないときは読まないとき。今はわたしは読まない時期なのだろう。

人によって読書というものは作法があるものらしい。ある人はひとつの作品を一気に読むし、あるひとは複数の作品を並行して読む。どちらがいいとはわたしは言えないが、わたしならひとつの作品を一気に読む。物語が佳境になると読むスピードまで速くなって、ページをめくるのがもどかしい。そんな経験を、本嫌いの人は一度してみてほしい。

もっとも、読書をしなくても充分生きていける。全く自由なのだ。

余談だが、雑誌の読み方も、人によってそれぞれあるようで、最後のページから読むという人もあるようだ。気まぐれというか、雑誌を逆に読むといったい何がいいのだろう。わたしは批判するわけではない。純粋に興味深いと思う。そういう習慣は、誰に教わったのでもなくできてゆく。自分が元々持っているのだろう。そういう読書体系を分析してみても面白い。そのうち「東大生の読書の仕方」なんて本が出るかもしれない。

想像はつきないが、このへんにしておこう。竜馬がゆく。の読了はいつになるだろうか。