犬論

 犬というのはけなげな生き物だ。朝飼い主が出かけると、夕方帰ってくるのをずっと待っている。
 

 犬の耳はいい(よく聞こえる)と言うのはこんな場合も同じで、飼い主の車の車種を犬は理解している。主の車が車庫に入ってきたら、確実にそれが飼い主だと理解できる。もし誰か知らない人の車だったら、吠えるだろう。
 

 我が家の犬の場合、帰ってくるのを感知するとソファの定位置に場所を取る。そして震えながら飼い主の玄関への到着を待っている。いよいよ到着しようものなら興奮はMAXで、嬉しさが爆発する。
 

 犬にとって、飼い主のいない時間というものはとても長く感じられるのだと思う。犬はもともと群れで暮らす動物であるから、仲間とはぐれるというのは精神的に大きな負担となっているはずだ。それだけに「群れの一員」である家族が帰って来れば、嬉しさは想像できないほどのものなのだろう。
 

 帰ってくる時刻というものはいくら言葉で伝えても彼らにはわからない。だから出かけるならなるべくそっと、いつの間にかいなくなっている方が良い場合もある。逆にしっかり出かけるところを見送ることで気持ちが切り替わる犬もいるので、そこは適宜調整すべきだ。
 

 犬を飼うとしたら、一日のどれくらいの時間を一緒に過ごしてやれるかが大事な条件だ。犬種によっては孤独をとても怖がる種類もいるし、犬種に限らず群れでいるはずの生態をわざわざ壊すというものは動物愛護の観点から見てもよろしくない。
 

 飼い主と一緒に過ごす時間というのは犬にとって精神安定剤のようなもので、一緒にいられる時間が長く、適度な運動と正しい食事を取ることのできている犬ほど健康で幸せな一生を過ごすことができる。そして癒やしの存在になってくれるだろう。

 一緒にいられない時間というものはたしかにストレスだが、ずっと構われっぱなしというのもあまり良くない。一人になる時間も必要で、なおかつ人間との生活上必ず一人になる時間は存在するため、留守番のときや一人た時異常な不安を感じるようではしつけが不十分だといえるだろう。分離不安は血統によるところも大きいが、幼少期からの正しいしつけによって回避できる要素の多いものである。
 

 子犬時代というものは犬にとって大変重要なもので、一生を左右する大切な時期である。社会化や人格の形成を行うため、一歳になるまでは非常に注意深くかつ愛情を注いでやる必要がある。三ヶ月齢くらいの時期の思い出(楽しかったこと怒られたこと)は成犬になっても覚えているそうだ。
 

 愛情を注がれた純血統犬というのは、最高に飼い主を信頼する。行動にも落ち着きがあり、いうことをよく聞く。そのため、盲導犬の候補犬は、パピーから一歳になるまで人間の家族のもとで幸せに暮らすことを義務付けられている。特に盲導犬は厳しい基準を満たすためにより安定した環境で幼少期を過ごす必要があり、そうすることによって性格的に優れた候補犬を育てることができる。
 

 犬の世界ではどのような血統であるかということがすごく重要だ。親や祖父母が優秀な成績、ないし性格を保持していれば子もほぼ必ずその先例にならうことができる。逆に言ってしまえば、遺伝病を持っている場合ほぼ確実にそれは受け継がれることを意味している。犬は世代の移り変わりがはるかに人間より早いため、病気を発症した血統を除外すれば数年のうちにその病気は根絶することができる。人気が出た犬がやたらと乱繁殖され、不幸にも疾患を持った犬が生まれてしまうのはまったく人間の責任である。
 

 このように書くと、犬も生命なのだから自然であるべきだという意見もあるだろうと思う。しかし、現状人間は何世代にもわたって犬を交配し、自分たちの好むように望むように作り変えてきた。それに犬は人間とともにいることによって生存する生き物である。つまり犬の生態は人間が責任を持って管理する必要がある。
 

 無責任な人間が不幸な犬を生み出してしまうのも事実だ。
 

 犬を飼うなら、大きな責任感を持って育てなければならないことを、ここに書いておく。
 

 しかしそんな難しく考えることはなく、愛情を注げばそれだけ応えてくれるのが犬という生き物だ。犬がどれだけ自分を信用しているのかということは、自分がどれだけ犬へ愛情を注いであげられたかという写し鏡のようなものだといっていい。
 犬は人間の良き伴侶である。もし犬をこれから迎えることがあったら、決してテレビなどの「安い」情報ばかりに囚われることなく、一つの命を預かるのだということを銘じてほしい。