目的のある文・ない文

どちらも書くことがあるのですが、どちらも好きです。

目的があるならあるなりにそれは楽しいですし、このブログのように書きたいことをつらつら書くだけでもわたしは楽しいです。

たぶん、わたしの経験では新聞・雑誌への投書が「目的のある楽しい文」です。

宿題でやってこい、と言われたら嫌かもしれませんが、なァに簡単です。

記事を読んで自分の思ったことを書けばいいのです。

論文のような厳密な根拠もいらず(とはいえ、ウソ・テキトー書いちゃダメですよ)、字数は400字程度、載れば嬉しく自慢でき、新聞社によっては図書カードがもらえたりもするようです。

投書をしてから載るかどうかを待って毎日の投書欄を見るというのは楽しいものです。

その間に他人の投書も読みますし、それに、載らなかったとしても新聞社の人に読んでもらえたのではないかと思うと、ムダな文章体験ではありません。

ついでに方法論を少し書きますと、特に新聞へ投書するときは、時事問題に目を光らせてうまく波をつかんでください。

それから、ホッとしたとか感謝したとか、そういう和む投書も望まれることもあるようです。

目的のある文、つまり他人が読む文章は、読む人の気持ちになって書くということが大事です(目的のない文章では特に問われませんが)。

独りよがりに自分の主張を言うだけではだめです。

読み手が読んだときに理解できなければ、その文章は文字の羅列になってしまいます。

自分の思ったことを書きながらも、それが伝わらなければ投書にはなりません。

一方、「目的のある嫌な文」もあるでしょう。

それはたぶん、報告書だとか宿題の作文とかになるかと思います。

報告書は、慣れもありますが要するに5W1Hを書けばいいのです。

いつ、どこで、だれが、なぜ、なにを、どうした。

このフォームに当てはめて、誰が読んでも理解できたら報告文完成です。

もう一方の宿題の作文ですが、これはわたしは害悪だと思います。

日本人に文章の苦手意識を植え付けているだけです。

原稿用紙アレルギーもこれが原因でしょう。

根本的な解決策は提言できませんが、わたしなら好きな筆記具で書けば少しは苦手も和らぐかもしれない……と書いておきます。

作文の宿題は根深い問題で、なぜこんなことを続けているのだろうとわたしも思います。

 

――とまあ、こういうふうにつらつら書いたら、楽しいでしょ?