ゆめのすこしあと

 ゆめのすこしあと

 

 夢を見て 目が覚めて

 君はいなくて……

 

 わたしはブレスオブファイアIVというゲームが大好きだ。「ゆめのすこしあと」はそのエンディングテーマ。

 このゲームを初めてやったのは、友人のKくんの家だった。彼がこのソフトを持っていた。

 

 わたし自身、我ながら変わっていると思うのだが、ゲームをするのはそれほど好きじゃない。「自分の買ったゲームの記録を進めてもらうところを見る」のが好きなのだ。すこしややこしいか。

 自分はあまりやらない。そして誰か代わりにやってくれる人を見つけて、やってもらい、わたしはそれを横で見ながら口出しをする。そんなゲームの楽しみ方がわたしは好きだった。

 わたしが子どもだった頃、街にはいくつかゲーム屋があった。ゲームソフトを専門に売り買いしている店だ。近頃はその類の専門店は軒並み潰れてしまった。

 それらが潰れてゆくとき、わたしは一抹の寂しさを感じた。時代の流れには逆らうことができない。けれど、一つの時代の象徴としてそれは確かに存在したのだ。

 ゲームに関して言うと、プレステ3が出て以来、もうゲーム機は購入していない。必要を感じなくなったのだ。

 プレイステーション2、この登場は革命的だったのではないだろうか。このハードがDVDの普及にも役に立ったと言われているが、この登場は子どもたちにとってもすごいことだったのだ。

 わたしがプレイステーション2で主に遊んだのはフライトシミュレータだった。戦闘機を自由自在に飛ばすのは非常に訓練と理解が必要で、とても難しかった。しかし友人と毎日夢中でやるうちに、日はどんどん過ぎていった。

 ただ、ゲームに夢中でいられるのはせいぜい小学校までだ。中学へは、友達はほぼ同じ中学へ進学したがそれぞれに部活や塾で忙しくなって、ゲームなどやっている暇はなくなってしまった。わたし自身も同様で、テニスの練習や(部活)塾へいって勉強するのに忙しくなった。もちろん疎遠になったわけではない。別の面で充実していった。

 いつの間にかプレイステーションはホコリをかぶるようになった。こうやって、子どもたちはゲームから離れて行ったのだろう。

 ごく近年。1,2年前か、PSPゲームアーカイブスというサービスの中で、ブレスオブファイアが配信されていることを知った。早速ダウンロードしてみると、懐かしさに感動した。

 

 わたしはギリギリ「アナログ」を心に留めている世代だ。だから、現在のゲームっ子たちを見ていると、すごく危うい感じがする。具体的に何かといわれると反論しづらいのだが、どうもいけない。

 最近のゲームのコマーシャルを見ていると、いい大人がスマホを握ってゲームするような場面がある。これは活を入れなければいけないだろう。喝か。

 ゲームをやってストレスを発散するような大人は三流だとわたしは思う。大人なら、小さな画面をずっと眺めているより、そんな時間があったら散歩をするべきだとわたしなら言う。

 空の青さや緑の美しさは、小さな画面の中などでは到底わからないことだ。何も絶景を見ろというのではない。日常の中の風景にも、美しさはいくらでも隠れている。それを見つけ出すのが散歩という楽しみ方だ。

 

 日常の仕事に追われて、疲れ果てる。しかし眠っているときに、わたしたちは夢を見る。それがどんな夢か、すでに覚えていないけれど、そうやって夢を見ることは子どもの時から変わらない。

 夢を見て、目が覚めて。そこから学校へ駆け出していった自分と、今の自分。それはどう違っているだろう。子どもの頃に見た「夢」は、いま形になっているだろうか?

 例えそうではないとしても、それはそれでいい。

 

 毎日、夢の少し後、わたしたちは一日を始めるのだ。明日も、その先も……。