落ち込んで……

 巨匠のあまりにも偉大なお言葉を聞いて意気消沈したので、散歩に行って気分転換しようと試みるものの、逆に疲れてこれを書いている。

 いや、わたしは二、三キロメートル歩いたくらいで疲れはしない。ただいろいろ考えながら歩いたり、犬のリードを持っていたり、強風だったりすれば疲れるものなのである。

 ちなみに我がシティは現在微風である。

 シティ、という言葉で思い出したが、わたしはシムシティというゲームが好きだ。

 シムシティとは?

 要するに、

 「都市を作る」

 ゲームである。自分が市長となって街を作っていくのだ。これは箱庭ゲームといってもいいだろう。好きな人にとってはいくらでも時間をつぎ込むことができるが、興味のない人にとってはまったく面白くないゲームでもある。

 なにしろゴールというものがない。クリアがない。ラスボスもいない。ずっと続くのだ。しかしそれだけに自由で、奥が深い。

 これはその人の性格が出る。大雑把な人がやれば(わたしのことだ)だいたい性格を反映した街ができるし、細かい人がものすごい時間をかけて作れば、それこそ芸術のような街ができるのである。 わたしもいろんな人の作例を見て真似しようと思ったが、到底無理だった。これは本当に緻密な作業だ。

 現実の都市設計も同じではないかと思う。効率的に人が済む区画を設定し、交通が滞らない道路を設置して市民の生活の向上を図る。仕事場を作って雇用を確立し、税収を得て更に街の発展費用に当てる。

 本当に市政そのものだ。

 しかしながら、わたしが本当に好きなゲームはフライトシミュレーターである。(たまにシュミレータという人がいるがそれは間違い)

 プレステが全盛期だったときは、友人と毎日のように「パイロットになろう」をやったし、プレステ2になってからは「エナジーエアフォースシリーズ」を友人とやり尽くした。

 エナジーエアフォース・エイムストライクだったら、わたしはどんな状況からでも着陸できる自信がある。ちなみに、コンピューターに合わせて編隊離陸をするのも得意である。この技術を獲得するにはみっちり一年くらいはかかるのではないかと思う。今でもできるはずだ。

 わたしは着陸が得意で、重要なミッションを終えて基地へ帰投する段階になると操縦をわたしへチェンジし、着陸をやるのがいつもの流れだった。主なミッションは友人が行い、わたしはそれに口出ししつつアドバイスをするのが定番のプレースタイル。思い出すと懐かしい……。 

 だがわたしも苦手なフライトシミュレーターがある。

 「エアロダンシングシリーズ」 である。

 これは本格派で、難しい。特に教官の採点が厳しすぎて、やるのが嫌になることたびたびだった。今考えてみればプログラムの判定に延々と悩み続けていたわけで、馬鹿らしいといえばそれまでだが、面白い経験になったのは間違いない。

 もう一つ苦手なのは、

 「マイクロソフトフライトシミュレーター」シリーズだ。

 これはガチ。もうマジでガチ。何しろ簡単な軽飛行機の訓練に使うところもあるくらいだから。

 大空を飛ぶのは太古の昔から人間の夢だった。わたしも空を飛びたかった。もろもろの事情でそれはできなかったが、今でも空への情熱は決して冷めてはいない。

 昔からわたしは暗算能力に欠けている割にはでかい数字が好きで、秒速七キロメートルとか、マッハ二.五とか、百五十メートルとか、四百ミリなどのでかい数字を聞くとワクワクせずにいられないのである。ちなみに秒速七キロは宇宙機の速度、マッハ二.五はF-15戦闘機の最大速度、百五十メートルは釣り竿のこと、四百ミリはカメラのレンズのことである。

 小学生だった頃、父に連れられてハゼ釣りの大会に出た。その時、なんと賞をもらえたのである。「飛び賞」という数で、要するにテキトーな数の順位の人へ粗品をあげよう、という賞へ引っかかったのだ。その時の順位は三十三位で、リールをもらった。百五十メートルの釣り竿に憧れたのはこの時だ。

 小学生のわたしにそんな遠投ができるわけがない。しかしわたしはあまりに数字にこだわったので、父に少し叱られてしまい、チョイ投げ竿を買うにとどまった。ちなみに、このリールも竿も現役で働いている。結果的にチョイ投げ竿を買ったのは大正解だった。この選択が現在までの使用を可能にしているといえるだろう。

 釣りをするのも気分転換にはもってこいかもしれない。初期投資をして、あとはちゃんと手入れをすれば釣具というのは十年単位で動くものが多いので、なかなかに効率のいい趣味かもしれない。実際魚が釣れれば食料になるし、釣りの感覚というものはどんなにゲームが進化しても再現することは不可能だろう。

 原始的なことではあるが、歩くとか釣りをするとか、そうすることは気分を変えるのにいい。自然と向き合うというのは何よりも優れた薬である。

 今、外を見てみると日が暮れようとしている。今日の夕日はどんな景色だろう……。

 (夕日は毎日同じように見えるかもしれないが、位置も見え方も、同じ日は一日としてないのだ。そう考えると、夕日の美しさがより感じられるのではないか?)