自らの年齢というコモン・センス

ある程度年を取ってから若い人を見ると、自分は年を重ねたのだなと思うものです。

その年を重ねたという事実を認識すること。

それはありのままということなのですが、ありのままというのは時として残酷なものです。

年を重ねるということは必ずしも楽しいことばかりではなく、たとえ自分がまだ壮年にすらなっていなくとも、自分より若い人を見れば嫉妬するでしょう。

年齢は容赦ありません。

容姿を変えもしますし、社会的役割ものしかかってきます。

果たさなければならないというものではないものの、果たさなければ自らより若くて有能な人がその席を埋めるでしょう。

ここまで言ってみてなんですが、年齢というものほど不思議なものも少ないと思います。

確かに「この年齢になるとこうなる」そんな認識はあっても、それが当てはまる人というのはそんなに多くはないのです。

おおむね当てはまっているように見えても、実はそれは側面的なものであったりします。

いわば年齢は人をしばるくびきのようなものだと言ってもいいかもしれません。

なぜ、年齢などにしばられて行動しなければいけないのか?

いつまでも自分の思ったように行動すればいいのではないか?

その答えはありません。

面白いですね。

コモン・センスなんてのは、ただ可能性をしばっているだけかもしれません。