新年好

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしく。

 

で、新年早々に買い物をしてみました。

某キーボードです。

今それを使って書いてみています。

静音モデルにしたのですが、コトコトいう打鍵音が面白いですね。

静かかというと、別の某HYBRIDキーボードとそれほど変わらないような。

でもおそらくいいキーボードです。

さわっていて、これは良くないなとか思っていませんので。

長い評価はまた使っていかないとできませんね。

久しぶりのフルキーボードでやっていきます。

(旧来のヤツももちろん使います)

 

ということで、よろしくお願いします。

YouTube等の動画・音声メディアの隆盛に思うこと

SNSを含めて、これほど多くの画像や音声を主体にしたメディアがあふれている時代もなかったのではないでしょうか。

これらが受け入れられたのは、その情報伝達の方法にあるといっていいでしょう。

文字媒体と違うところは、情報の受信者に解読の労力が非常に少ないということでしょうか。

要は集中力がなくとも、文字を読む気力がなくとも、昨今のメディアからは情報を得られるわけです。

この様式は宗教画などと同じ感じがします。

識字できない人びとへの情報伝達は絵が使われました。

加えてしゃべる人が解説をすれば、より多くの情報が伝えられるでしょう。

これと同じ動きが動画・音声メディアで活発になっていると見てよいです。

なんというか、いつまでたっても繰り返される歴史を感じますね。

 

2022年も読んでくださった方々に御礼申し上げます。

変わらぬブログですので、来年もつらつら書きます。

では。

ノーボーダーはどこ行った

21世紀の初め、これからはノーボーダーだ、というようなことが言われていました。

グローバル化だ、垣根がなくなるんだ、と。

ところが、現在では分断がさまざまなところで現れ、人びとは自分の”位置”にこだわるようになりました。

ある意味では当然かもしれません。

たとえば、国境を越えて他国へゆけば、「きみはどこから来たんだい?」と自分の故郷のことを聞かれることでしょう。

異なる場所へゆけば、自分がどこの環境に”所属”するのかを否応なく意識することになります。

境界が薄くなって、他のまとまりの中へ入っていったとき、自分のもともとの位置が強調されてしまうのです。

結果的に、2022年ではボーダーレスというより、ボーダーがより濃くなってしまっている感じがします。

故郷が戦争に巻きこまれるのは悲しいことですが、土地をめぐって争いが起こるのは、ボーダーがあるからではないでしょうか。

”ノーボーダー”であれば、土地をめぐって争うのは意味がないことです。

もちろん、故郷というのはさまざまな意味で力をくれるものです。

ともあれ、21世紀の初めに言われていたような環境ではなくなっているような感じがします。

人、モノの行き来は確かに活発になったかもしれませんが、結果として先に述べたように自らの”所属”が強調される時代のようです。

買うべきか、買わざるべきか、それが問題だ

地元のちょっとさびれた文具屋さんがあります。

そこに、カスタム74が半ば埋もれるように陳列されているのです。

わたしはこの万年筆のBニブがぜひほしいと思っているので、買うかどうか悩んでいます。

しかしながら、このお店売る気があるのかどうか不明です。

いえ、言えば売ってくれるでしょう。

それは確実です。

が、買った満足感があるかどうか不明なのです。

やはり万年筆を買うというのは、「買ったんだぞ」という満足感が必要なのです。

こういう感じにさびれちゃっているお店だと、満足できないかもしれません。

つまり、わたしはこのお店から義勇的に万年筆を買い、ショーケースから助け出すべきか否かを悩んでいるのです。

万年筆 作家シリーズ

万年筆には作家シリーズがありますね。

日本のメーカーではほとんど無いのではないかと思いますが、海外のもので、モンブランの「ヘミングウェイ」とか、有名じゃないですか。

日本メーカーだと、もう10年くらい前になるかもしれないですが「漱石」というものが出たと思います。

わたしが知らないだけで実は出ているのでしょうか。

たとえば、鴎外とか、芥川とか?

ない気がします。

わたしが尊敬するのは司馬遼太郎なのですが、この名前を冠する万年筆を出すまで、万年筆文化が存続するのかちょっと危ぶんでいます。

おそらくですが、作家の名前を冠した万年筆が発売されるためには、その作家の存在が「伝説」のように熟成されなければならないでしょう。

司馬遼太郎は25年ほど前まで存命でしたから、彼を知っている、彼と同時代を生きた人はまだまだたくさんいます。

そういう人物を商品名に冠するのは、おそらくまだむりでしょう。

その点、漱石は多くの人にとって教科書などで習った「明治の文豪」という感じじゃないでしょうか。

ですから、司馬遼太郎万年筆が発売されるのはだいぶ先じゃないかと思うのです。

わたしとしては、ぜひとも司馬遼太郎万年筆を手に取ってみたいと思っているのです。

できるならメーカーさんはなにかの機会を見つけて大規模な作家シリーズ万年筆を発表してもらいたいのです。

ただし、わたしは司馬遼太郎を尊敬していますので、いい加減な仕様で万年筆を出されたら相当怒るでしょうね。

漱石」万年筆のときも、その仕様に納得のいかない漱石ファンがいたようです。

万人が納得できるものではなくとも、「ああ、これはよいペンだ」という万年筆がこれからも作られるとよいと思います。

特に、作家の名前を冠するような。

書くなら朝

わたしの場合ですが、文章を書くなら朝がよいです。

もしくは午前中。

午後にやるのは推敲とかです。

やっぱり朝起きて、1日の中で一番脳がさえているのは朝だと思います。

……少なくともわたしの実感では。

 

いざ、超望遠

えー、ご無沙汰です。

いよいよ超望遠レンズを入手しました。

正直言って驚いています。

世界が違って見えます。

重いとか、いろんな先入観があるかもしれませんが、カメラをやるなら1度は経験した方がいいのではないかとさえ思いました。

いかがです?