わたしは毒舌?

 一見いい人に見えた人が、ポツリと悪口を言うのを聞いてしまったことで、その人のイメージが一気に悪いものになってしまう。
 そんなことはないだろうか。
 人間に対するイメージなんてものは、案外いい加減なものなのである。
 たった一言でイメージが変わってしまう。言葉というのは、単にしゃべるだけで発することができるものだが、それが発言者の思いもよらぬところまで行ってしまうこともあるのだ。
 揚げ足を取る。という表現がある。実に姑息である。発言の趣旨を批判したいのであるが、その発言が理にかなっている、しかしなんとかそいつを蹴り落としてやりたい。某国の政○の舞台でよく見られる光景である。
 わたしはそんな光景を皮肉と毒舌を持って見ている。この人物たちに国を任せておいて大丈夫なのだろうか……。
 それはさておき、わたしは一般的に見て善人だろうか。
 他人から見てそう見えるかもしれないが、わたし自身は自分の笑顔の下に何かしら潜ませていることがある、と実感している。
 しかし、他人を害することはない。
 日常に様々なことがある。それらを自分なりに処理して、自分がスムーズに毎日を過ごせるようにする。そのごく自然的な反応によって起こってくるのが毒舌とか、皮肉なのだ。あくまでもわたしの場合は。
 だから、別に悪いことではない。と私は考えている。
 けれども、わたしは元来が陽気な人間なので、そこまで深刻に他者をこき下ろすことはない。他人をこき下ろして満足するのは、ゲスのすることであろう。まして他人をこき下ろして自分を偉く見せようなんて奴は、豆腐の角に頭をぶつけてみるべきなのだ。
 毒舌を言い合える環境というのは、相互に信頼関係が存在していることを意味している。信頼関係のない人へ言おうものなら関係は破綻するし、非常識である。
 単なる毒舌は悪い影響しかほぼ与えないであろうが、愛のこもった毒舌をぜひともぶちかましてほしいものである。
 その点、「皮肉」というものはもう少し安全圏にある言葉ではないだろうか。
 単語について考えてみると、
 皮肉
 というものはごく一場面での発言であろう。が、
 毒舌
 という言葉は、その人物の性格を表していることが多いように感じられる。
 わたしは毒舌家かもしれない。他人が伝えてくる文章については常に疑問を持って受け取っているし、その文を自分ならこうするだろうと常に校正を考えている。文を書きたいという人間なので、性といってもいいだろう……。
 あまりいい印象のない毒舌と皮肉という言葉だが、これは考え方によってはいいことだろうとわたしは思う。
 なぜなら、毒舌や皮肉をいえるということは、少なくとも自分の考えを持っているということだからだ。何も考えを持っておらず、ただ漠然と不平不満を持っているのは不健康極まりない。
 ものは考え様なのだ。