よくわからない鉛筆「ARTEZA」レビュー

某通販サイトで鉛筆をまとまって買おうとすると候補に出てくるメーカー「ARTEZA」。

どういうメーカーなのかもいまいちよくわからなかったのですが、買ってみました。

販売元を見ればもちろん書いてあるのですが、この名前は普段聞いたことがありませんね。

アメリカの有名な鉛筆に「タイコンデロガ」がありますが、あれとは少し違った印象です。*1

HBを買ってみても「タイコンデロガ」と比べると少し柔らかめ。*2

特徴として、この黄色の塗装は鉛筆の芯の汚れがつきます。

 

日本の鉛筆とか「タイコンデロガ」は、まとまって入れた鉛筆同士が汚れをつけ合ってしまうことはまずないと感じます。

まとまった数を売っている鉛筆ですので、汚れるのがいやな方は鉛筆キャップなどを使われてはいかがでしょうか。

書き味自体はわたしは好きですし、鉛筆としてちゃんと使うことができます。

実感として、「タイコンデロガ」よりは芯が真ん中にしっかりと入っている確率が高いです。

それに鉛筆自体が反ってしまっていることもないですし、木の削りくずが箱に入っていることもないです。

附属の消しゴムも問題なく消去可能です。

参考にしかならないと思いますが、筆記比較を載せたいと思います。

左から「タイコンデロガ HB」「ARTEZA HB」「UNI B」

です。

「UNI」のみBなのにご注意ください。

紙はリーガルパッドです。

*1:鉛筆の下に敷いている手帳は愛用の「ダヴィンチ・ロロマクラシック」です。

*2:鉛筆を入れている箱は「グラフフォンファーバーカステルパーフェクトペンシル」のものです。「ARTEZA」鉛筆に附属しません。

推し活・推すのは自分だ!!

なんだかはやってるみたいですねえ。

自分の好きな「ヒト」「モノ」「モノゴト」を応援することで満足感を得ようという活動でしょうか。

これは私見ですが、どうせなら誰かを推すより自分を推してみたらどうでしょうか。

アイドルだったらいつかいなくなってしまいますよね。

引退とか卒業とかで。

推している期間は幸せかもしれませんが、自分には思い出くらいしか残らないのではないでしょうか。

推しがいなくなったら別の人を推すというのも変な気がします。

物にしても、それは買ったときは幸せかもしれないですね。

でも、買ってしまえばそれで事実上「活動」は完結です。

わたしがやるべきだと思うのは、「自分を推す」ということです。

つまり、自分を磨くのにお金などを投下するわけですね。

お金だけでなく、手間と時間も必要です。

たとえば楽器。

楽器は優れた自己表現の道具です。

習熟するには継続的な訓練が必要ですが、一度身につければ一生どこへ行っても弾くことができます。

読書や勉強もよいでしょう。

これらで身につけた知識は誰も奪うことができません。

大災害で家を失っても、戦争で家や街が燃えても、自分が身につけた知識はどんな兵器も奪ってゆくことができないわけです。

まあ、自分を推すというのはちょっと大変です。

手間・お金・時間・練習。

みんなにそうしろというのは酷かもしれませんね。

お金を払えばすぐに手に入るものでもありません。

肯定感にも結びつきにかもしれないですね。

SNSにも映えるとは保証できませんし……。

やれる人ばっかりじゃないんですかねえ……。

机のレイアウト

これは奥が深いですねえ。

そもそもどういう机を使うのかというところから話が始まるのですが、突き詰めるとどんどん改善点が出てくる。

机の使い方ほど奥深いものもありません。

以前にも書いたかもしれませんが、わたしはついつい机の上のモノが増えてしまうので、そいつらをどうするか。

どう置くか、何を置くか。

これらすべてが研究対象です。

何を目的にする机なのか。

語り足りませんね。

PC入れ替え

諸事情で1月上旬にPCを入れ替えました。

大変な重労働でした。

肉体的作業はそんなにないものの、拘束時間が長く、かついろいろなソフトを入れ直すのに時間がかかりました。

こればかりはクラウドになっても時間がかかります。

骨が折れるとはこのことでしょう。

もっと楽にならないものかと思うのですが、楽になるんでしょうか……。

 

楽器近況

最近ですが、なかなか弾けていないのが現状です。

以前のように毎日30分ないし1時間弱弾いていたというのがまるでなにかのおとぎ話かのように感じられます。

そういうときもあったなあ、と、懐かしんでいる……

とでもいいましょうか。

でもまあ、楽器が逃げていくわけではありませんし、もちろんやめるつもりもありません。

弾くタイミングが来たら、また弾きます。

 

自分のブログを読み返した

長らく続いてきて「はてなブログ」へ引っ越した当ブログですが、だんだん歴史が長くなってきました。

よく書いてきたなぁと思って、10年以上前の記事を読み返してみました。

なんというか、ういういしいですね。

元気で良いです。

書いているのを楽しんでいるのが感じられます。

記録が残っているのがいいことなのか、それとも暗黒の歴史なのか分かりませんが、とりあえず今のところは消す必要は無いように思います。

書き続けて、それがネットの海に漂っている。

実に不思議です。

この文章はどこかに残り続けるのでしょうか。

実は手書きの原稿もたくさん残っているのですが、ホコリをかぶっています。

彼らを見返す勇気がありません。

 

そうですね。

確かに最初のころから本当に書くことが楽しかった。

その気持ちと感覚があったからダーダー書き続けているわけです。

この十数年の間にブログブームがあり、ブームが終わり、SNSがやってきて、某COVIDがありました。

その中で、書く時期もあれば、ほったらかしの時期もあるにもかかわらず、このブログ(文章)は存在し続けているわけです。

面白いですね。

ペンは剣よりも強し、ということでしょうか。

APCについて

キーボードのこの機能ですが、有用だと言えます。

この機能があるかないかでキーボードの価値が変わると感じるほどです。

今後発売されるキーボードにはAPCが標準装備されるのではないでしょうか。

絶対にあった方がよいです。

もちろんノートPCに附属するようなものには無用というか不可能でしょうが、まともな外付けキーボードなら不可欠だと感じます。

それくらいに感触が変わりますので、お持ちのキーボードをいじっていない方は1度調整してみてはいかがでしょうか。