死去の報道

例えば、芸能人が亡くなると実にえげつない報道がなされると思いますね。
亡くなった家族のところへ行って「どんな気持ちですか」とか、「どんな最後でしたか」とか聞くわけです。
わたしは見ていて思うのですが、テレビの報道にモラルってのはないのでしょうか。
自分の大切な人が亡くなったときにそう押しかけられて、ああだこうだと聞かれたら大変な心の傷になると思います。
ニュースは鮮度が命なんでしょうか?
伝えればいいのでしょうか?
ただ、わたしは最初に芸能人と述べました。
これが事情をやや複雑にしているかも知れません。
芸能人はある意味、扱いが違いますね。
一般人の家には確かにマスコミが押しかけることもないわけです(事件や事故で亡くなったのでなければ)。
つまりは、芸能人であったり社会に大きな影響を残した人、死によって社会が大きく動くような人は報道されるんですね。
芸能人の死を伝えればニュースが成立するという理論はちょっとと言うかかなり時代遅れです。モラルが20年ほど成長してないみたいに思えます。
まして、その人の死がいかに大きなものであっても番組中のほとんどをそれに傾ける番組は報道と呼べるかかなり疑わしいです。
日本の報道はワイドショーとニュース番組の棲み分けがすごく曖昧ですね。
さらに芸能人に関しては有名税とかいう妙な概念もありますが、その一言で片付けるのは疑問です。
今後、昭和を飾った芸能人や著名人はどんどん亡くなります。
それは人間なんですから、年を取ればやがて死ぬのは当たり前です。
けれど、それを報道するのはこれからを生きていく我々です。
その我々の考え方が進歩しなくてもいいのでしょうか。
進歩しなければなりません。
過去に浸るだけではいけない。
でも、報道という切り口から見れば、日本の報道は進歩していないと感じます。
この分野はレガシーを追いかけはしても、それを受け継いで発展させることに無頓着のようですね。
生きていくということはこれからの時代を切り開くことだからです。
先人たちが遺したレガシーは受け継ぎつつ。
今の時点で報道の仕方を見直しておくことが、先人たちの遺したものを継承し発展できるかにつながります。そうしなければ、過去を回顧して「あの頃はよかった」と現実から逃避するだけになってしまうでしょう。
この疑問はわたしだけでしょうか?
議論の余地は大きいですね。